いじめについて

教育機関だけバッシングしたっていじめは無くならない。いじめは教育の現場だけで起こる問題じゃなく社会全体の問題です。家庭、職場、娯楽、どんな場面にもありる上に、現代社会だけで発生している問題ではありません。

少し前に、自殺した子の親が先生や教育委員会に激怒していたのを見て何か違うのではないかと思いました。もちろん先生や教育委員会の対応はおかしいというレベルを越えている所が多々あると思います。

しかし、親にも問題が少なからずあるのではないでしょうか?自殺しなければならなくなった環境を作り上げてしまったのは教育の現場だけなのでしょうか?

いじめられてる自分の子供を何で助けられなかったのか?なんでいじめられ、潰されてしまったのか?そして最終的に「死」を選ばせてしまったのか。

もちろんいじめる奴が悪いのは当たり前。大多数の人数で一人を責め上げ、苦しめる行為は許されるものではありません。しかし、いじめられる側にも何か原因の一端があるはず。

今生きてる人の大多数の人は、大なり小なり、一時的にでもいじめられる環境におかれてしまったことがあるんじゃないでしょうか?それを知ってても、知らずのうちにでも、克服し解決する術を身につけていくものだと思います。

最終的に自ら「死」を選んでしまう子は、死ぬとういう事がどういう事なのかわからないまま、死んでいってしまうんでしょう。心が痛みます。

しかし、全ての人間が理解し合い、協調していくことは不可能であるので、いじめがこの世から無くなることはないと思います。 自分と、自分を支えていく人とで克服していかなければならないようになっていると思います。

いじめを無くす事を考えるより、「困難を克服していくこと」「自分が死ぬという事がどういう事なのか理解させること」が必要なのではないでしょうか?

そしてそれを培うのは、教育だけでは無理です。そういった人間性を培うのは教育の現場だけではありません。自分の生活している環境、小学生〜高校生ぐらいまでは家庭と学校ということになるのでしょうが、その中で自分自身が学んでいかなければならないし、それを教えてやらなければならない。

だから、あのニュースで親が教育関係者に激怒している場面を見て、何か違うんじゃないかと思いました。

そして、自ら「死ぬ」という事を最後の手段にしようとしている人たち。またはその言葉を簡単に利用してしまおうとする人たち。たぶんそこに至るまで、自分のシグナルをどれだけ発しても気付いて貰えなかったんだと思う。でも死んでしまったらそれで終わり。何も変わりません。最後のシグナルを「死」という形にしてしまわないでください。